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観光名所ネタ

2024.02.06

織田信長が天下統一の足場とした「岐阜城」

岐阜城は、鎌倉幕府の吏僚二階堂行政によって築城されたものといわれています。戦国時代に、天下統一を目指すため、美濃国(岐阜県南部)を攻めていた織田信長公は、永禄10年(1567年)8月に「稲葉山城」の斎藤龍興を攻め落とし、美濃を手中におさめました。織田信長公は「岐阜城」を拠点とし、琵琶湖畔に安土城の築くまでの約9年間、「岐阜城」から天下統一を目論んでいました。

金華山一帯は平成23年(2011年)に「岐阜城跡」として国史跡にも指定されている。現在築城されている城郭の最上階からは、眼下に広がる清流長良川、東に恵那山や木曽御岳山、北に乗鞍や日本アルプス、西に伊吹・養老・鈴鹿の山系、南に濃尾の大平野と、四方から大自然を臨むことができます。岐阜城天守閣は「金華山」の山頂にあり、ロープウェーで気軽に行ったり、登山ルートで山歩きを満喫するなど様々な方法で、天守閣まで行くことができます。

日本初の模擬天守から焼失後の岐阜城再建

織田信長公が「岐阜城」と名を改めた当時は、山頂に天守がなく、天守が築かれたのは織田信長公が安土城に居城を移した後に城主となった、嫡男の信忠や池田輝政の時代だと考えられています。

その後明治時代に入り、長良橋の古材を利用し岐阜市保勝会や岐阜建築業協会らの手によって建てられた、日本初の観光用模擬天守がありましたが、失火のため焼失しました。そのため現在の岐阜城天守閣は、1956年(昭和31年)7月25日に完成したものです。3重4階、鉄筋コンクリート造の復興天守の設計は加納城御三階櫓の図面や古文書を参考に城戸久(名古屋工業大学名誉教授)が設計したもので、大日本土木が施工しました。1997年(平成9年)2月からは「平成の大改修」と呼ばれる修築工事も行われている。

また当時ではとても珍しい宮殿建築がほどこされた城としても有名。
城主の館は山麓に置くという二元構造を踏襲し、山上と山麓のどちらにも石垣を導入しながら、大規模な改修をほどこしたそうです。「自らの栄華を示すために他のすべてに優ろうと欲しています」と評し、実際に上等な材木をふんだんに使用し、4~5つの庭園があったそうです。この当時の日本では稀有とも言える完璧な城だったそう。

  • 名 称

    岐阜城

  • 住 所

    500-0000 岐阜県岐阜市天主閣18

  • 営業時間

    9:30~17:30(10月17日~3月15日までは16:30までの営業)
    元旦のみ6:30~16:30※期間限定で夜間営業有

  • 定 休 日

    年中無休(ロープウェーについては定期点検がある場合があります)

  • W E B

    https://www.city.gifu.lg.jp/kankoubunka/kankou/1013051/1005097/1005098.html

  • 電話番号

    058-263-4853